毎月2回、中国語の勉強会を受講しています。勉強会では、めいめいの受講者が関心を持った話題を中国語に書いてネイティブの先生から添削を受け、中国語で そのテーマについて会話をします。ここでは、その中で取り上げた話題を日本語と中国語(添削済み)で紹介し、中国語の記述や話題のポイントについても補足します。

 日本人なら誰でも中学校で歴史の時間に教わる「漢委奴国王」の文字が彫られた金印には、発見時のエピソードが伝わっているそうです(この稿は、加藤徹著「漢文の素養」光文社新書を参考にしました。)。

金印の逸話

 日本人は誰でも、中学高校の日本史の授業で「漢委奴国王」の文字が刻まれた有名な金印について教わる。金印の文字のうち「委」は「倭」の簡略字で日本を意味し、「奴」は当時の地名「儺県(なのあがた、現在の福岡市)」の日本語の先頭字「な」の当て字と考えられている。江戸時代に金印が発見されたとき、福岡藩では「奴」の字が屈辱的だから金印から削ろうという意見が出た。しかし藩の儒学者が、「「奴」と「の」は同じ意味だから、金印の文字は「漢の倭の国の王」と読むのだ」と嘘をついて金印を守ったという逸話が残っている。

金印的逸话

日本人谁都在中学的日本历史课上学过关于一块很有名的金印的事情。在这块金印的印面上刻着“汉委奴国王”的文字。在这些文字中,“委”是“倭”的简写字,有“日本”的意思。“奴”推测为是现在福冈市的,当时地名“傩县”的日语字头”na”的音译字。在江户时代这块金印被发现了,从发现的时候就留传着一个逸话。据这个逸话说,在福冈藩有主张要从金印上把“奴”字要删去的意见,理由是这个字使人联想起屈辱来。但是,藩的一个儒学者为了保护金印说假话,说“奴”有“的”的意思,所以金印的文字可以理解为“汉倭的国王”。

 金印の印面に彫られた文字の解釈には、現在でも諸説あるそうですが、発見当時の誤解は大ピンチを招きました。漢字の読みに機転を利かせて金印を救った儒学者は、後世への貢献まことに大きいものがあります。
 「発見当時から逸話が遺った」を表す”从发现的时候就留传着一个逸话”の箇所の「就」が、「その頃から早くも」のニュアンスを表現しているようです。「・・・を連想させる」を表すのに、「人をして」を意味する ”使人”を補って、”使人联想起・・・来”にしました。