毎月2回、中国語の勉強会を受講しています。勉強会では、めいめいの受講者が関心を持った話題を中国語に書いてネイティブの先生から添削を受け、中国語で そのテーマについて会話をします。ここでは、その中で取り上げた話題を日本語と中国語(添削済み)で紹介し、中国語の記述や話題のポイントについても付け足します。
日本では梅雨入りの季節を迎えますが、中国では旧暦の端午の節句がやってきます。このお祭りにあわせて、江南地方以南(台湾も含む)の各地で、勇壮な龍船(龍の装飾を施した舟艇)の競技が催されます(ドラゴンボートフェスティバル、日本のいくつかの土地でも似た行事の伝統があります)。このお祭りにまつわる、中国古代史上の有名な詩人の物語が知られています。
端午節と屈原
6月7日(旧暦5月5日)の端午節には、華やかに装飾されたドラゴンボートが速さを競う伝統のレースが行われる。この行事は、春秋戦国時代の有名な詩人で楚の政治家でもあった屈原にちなんでいる。屈原は、楚の隣国であった秦との外交をめぐる政争に敗れて左遷され、さらに楚が秦との戦いに敗れたことを嘆いて入水自殺した。ドラゴンボートレースは、入水した屈原を助けるために人々が船を出した故事に由来するといわれる。屈原は当代第一の詩人としても名高く、彼の詩を多く集めて編纂された「楚辞」は、「詩経」と並ぶ中国古典文学の源流と考えられている。
端午节和屈原
6月7号(阴历5月5号)是端午节,这天举行装饰华丽的龙舟竞赛的传统活动。这个活动与屈原有关,他是很有名的春秋战国时代的诗人和楚国的政治家。他围绕着和邻国秦的外交的政治斗争,失败后被降级调到地方去了。他还悲叹楚和秦进行战斗,楚被打败了,所以投河自尽了。据说,龙舟比赛起源于屈原投河后要救助他的人们开船开始的。屈原作为当时唯一的诗人也很有名。把他的作品汇集编写的《楚辞》和《诗经》一样,都被看做是中国古典文学的起源。
屈原は、古代中国の各地の勢力が群雄割拠して争った春秋戦国時代(紀元前8世紀~紀元前3世紀)に江南地方を支配した、楚の国の政治家であり詩人です。西方の隣国であった秦(後に最初の統一王朝となる)との外交や戦争をめぐって窮地に立たされた屈原は、長江の支流の汨羅江に投身自殺します。屈原の悲劇が時代を経て勇壮なボートレースの伝統につながるのは、少々ミスマッチに感じられます。
楚の国はまもなく秦に滅ぼされますが、楚の武将の血筋から出た勇将、項羽が活躍するのは、屈原の死から60年余り後のことです。
「装饰华丽」( きらびやかに飾り立てる )、「投河自尽」( 川に身投げ(投身自殺)する )などは定型句のようですが、辞書で探しても容易に見つかりません。説明的に表現すると長くなる言い回しの簡潔な表現は、中国語の奥深さの一面をうかがわせます。
余談ながら、 日本では端午の節句といえば鯉のぼりを思い出します。中国には同様の習慣はないけれども、中国語では 鯉のぼりのことを「鲤鱼旗」 (liyuqi)というそうです。