週末のテレビ(注:旧聞ですが、2019年2月中旬にNHKで放映された「美の壺」番外編です。その時期に開催されていた顔真卿展にちなんだものでした。)で、新中国建国後の漢字改革に取り組んだ方のインタビューが放映されたので紹介します。

 当時2割程度だった識字率を向上させるために漢字を簡略化する一方、文化的伝統の継承にも注意を払った。簡略化にも根拠が必要で、後漢時代の辞書に記載のある略字を採用したり(兒→儿)、元の漢字の一部をとったり(慮→虑)、草書体をとりいれたり(東→东)した。いま思い返すと後悔するものもある。例えば「工場」を意味する「廠」を「厂」に変えたために、屋根と壁だけで中身がない工場になってしまった。

简体字的由来

  上个周末,电视上播送了一个很有趣(又は对我来说很有兴趣)的有关汉字历史的节目。在电视上采访了一位老先生,他是新中国建国以后努力改革汉字的老学者。他说:
 “为了提高当时只有20%左右的识字率,我们努力简化繁体字,同时也应该注意继承传统文化。简化需要根据,比如采用在东汉时代的词典里写的简化字(兒→儿),写出繁体字的一部分(慮→虑),或者改变为草体(東→东)。现在回想起来,就觉得简化之中有几个后悔。比如说,有工场的意思的「廠」改变成了「厂」,这是只有屋顶和墙壁但是没有内容的字。”