高強度アルミナ長繊維事件の一審判決で興味をひく点は、3番目の争点(判決文では争点(4)とされている)すなわち「被告は、営業秘密に係る電子データとその複製物の返還義務を負うか」にあります。裁判所はこの争点に関してだけ、原告の主張を理由がないとして斥けています。
この争点に関する原告の主張は、原告が全従業員から記名押印のうえ提出させた秘密情報誓約書中の「2.機密資料の保管・返還」に関する次の規定:
2.機密資料の保管・返還
貴社在職中は,私が保管を命ぜられた貴社の営業秘密情報及び個人秘密情報に関する資料類(製品、試作品、文書、データ、図面、電子媒体等一切)を責任を持って保管し、第三者に漏えいせず、また、貴社退職時はこれら全ての資料を貴社に返還すること。
に照らし、被告は電子的に複製して持ち出した技術情報データ及びその複製物を原告に返還する義務を負うというものです。この原告主張に対して裁判所は、秘密情報誓約書中の規定により被告を含めた従業員が保管・返還義務を負う「資料類」は「無形物である情報そのものではなく情報が記録されたところの有形の媒体を指すものと解するのが自然である。」と述べています。
また、秘密情報誓約書は「1.秘密情報の保持」として、
1.秘密情報の保持
貴社の秘密情報管理規定に記載されている秘密情報については、在職中はもとより退職後も貴社の書面による許可なくして自ら使用し、あるいは第三者に開示するなど一切漏洩しないこと。
と規定しており、1項では「秘密情報を個人使用及び漏えいの禁止の対象とするのに対して、2項では「機密資料」を保管・返還義務の対象とするように、「情報」と「資料」を明確に区別している。したがって、秘密情報誓約書の2項には文言上「データ」が含まれるものの、無形物である電子データ自体を指すわけではなくその情報が記録されている媒体一般を指しており、本件電子データそのものを対象とする返還請求は理由がないと結論付けています(ただし、被告に対する電子データ及びその複製物の廃棄請求は認めています)。
以上のように判決では、秘密情報誓約書の書きぶりからして、返還を請求できるのは情報を記録した有形の媒体(例えば印刷物、USBメモリ、ハードディスク等)に限られ、無形のデータ自体の返還を請求することはできないと述べています。情報を有形の媒体に記録すれば、その持ち出し、返還、廃棄をイメージすることは容易ですが、こんにち一般化している有形の媒体を介さないデータの移動や保存については必ずしもそうとはいえません。例えば上記の秘密情報誓約書の「2.機密資料の保管・返還」にいう「電子媒体」に、クラウドのストレージサービスは含まれるでしょうか。クラウドにアップロードされたデータが消去されなければ、持ち出し者本人の不法使用だけでなく第三者による使用の可能性も残ることになります。
一審判決は、技術情報を共用ファイルサーバに保管して使用者を限定しルールを定めて使用を許す管理方法を、不正競争防止法にいう営業秘密の秘密管理性の要件を満たすものと認めました。ただし上述のようにこんにちでは、データの移動や保存の概念、方法がさらに多様化し日々変化しています。技術的に情報の保管や利用の安全性を高めるとともに、秘密情報誓約書のようなルールの成文化においても、これらの事情をじゅうぶん考慮する必要がありそうです。